垂れ流す、毒か空気。







たくさんの言葉を並べたててから気がつくのは

私の言葉に 価値や 意味は ないということ。

わかりきっていたことだろ。
そんな承認されるか されないか 、人に価値があるか ないか 、そういった他人からの価値観を考えた思考に呆れ果ててくる。

自分の作品を具現化していく理由がそればかりになれば、終わっていくのはわかってはいたんだ。

ただ、その場を繋ぐための 微笑み。
空っぽなコミュニケーション。

 

 



それで生きているつもりなのか?

 

 




外発的な動機に 変わったら 継続はとても困難だとは頭では理解していたんだ。

生きることですら、 強い動機が、


生きる意味だと思える " "が 欲しかった。私の飾りが剥がれてちっぽけさが露骨になる前にと只々焦り 息をしていた。

 

盲目な 言動 思考回路 生き様にあたえられるのは絶望 死ねば無駄がもっと無駄へと変わる。医者の利益の為に薬漬けで麻痺した感覚に鈍く伝わる相当な痛みと、周りの犠牲と遺る障害を伴っても自分の訴えは勿論無意味なのだ。医者の判断は悪くないとされるが確実に狂わされたと肯定が出来ない量。「なんてことを私は」と今更はっとしても結局は逃げようとしたツケだろう。後悔と認識の痛みを、嘆くのはいい加減にして口を糸で結んでしまわねば 貪り食らった優しさに反省の意を行動で示していかねばならないと痛烈に自らを矯正して生きていくしかない 。


自由には責任が伴うことを語る癖にその自由は自らだけで得ているなどと傲慢で理解した気になって掲げるお前を殺したいのです。なんとも慙愧の念に堪えない生き様だったと、誰かと笑いあえる日までに清算して努力しなければ。


本当に手に入れるには 外界の何かを変える前に自らが変わり手に入れなければ、生まれた環境になければ自らが見出す感性を 力量を身につけなければ、価値を見出せない命は本来なら生きることはできずに息をするだけになる。何もないところから何かを生み出すなんて、何かが最初にあるからいえるんだよ、筆がなかったら?絵の具がなかったら?気づかなければ生み出せない。私には私の中の赤があるだろう、それを使ってでも私も描き出すべきだった。

 

愛情と愛着の類になんとか今は繋がれ生きている癖に全て、結局は全部全部全部が「思うように生きたい 生きれない事」での重要視でぐるぐる左右されてる私の、誰かをあてはめた だけの空想。お邪魔しました